第7回知恵蔵の時間 金井登さん

知恵蔵の時間 第7回  講話 金井登さん

「農業指導から映像作家へ」

2018年11月25日 14時~

於 まる屋 司会 小林恭介

司会 毎回毎回なんですけれども、ちゃんとお話頂いたものは、ちゃんと文字に落としているんですよ。結構この地域の重要なお話がね,皆さんしてくださるので、これはちゃんと記録に留めた方がいいということで、今日は来られないんですが、橘さん、それと奥さんの淑子さんが文字にしてくれたりとか、そんなふうに記録に残してます。

AY 文字に落とすって大変でしょう。

司会 大変なんですよ。それを一生懸命やってくださっています。今日のお話のゲストは金井さん。一回ね、私はちょっとお話ししたんですけれども、もともと経済連の方でお仕事をされていて、一番最初は栽培技術の指導の方をやられたりして、特に高原野菜とかいろいろやって、農家さんのところを回っては農家さんとともに地域の産地作りをされてきたというのが、若い時にやったということで、その後、現場からマネージメントの、どちらかというと全体の農業振興の方の分野でお仕事をずっとやってきたっていうことです。それで映像に関わりはじめたのは定年を過ぎてから本格的にやったということではあるんですけれども、今日はどちらかというとまあ、金井さんのそれまでのお話しも聞きたいんですけれども、映像をね,始めてからの、いわゆる北御牧のケーブルテレビの方の映像をね,長年にわたって作られて来た方なので、やっぱりどういう思いで映像を作り上げられて来たのかとか、何と言っても今回はその時に作られた映像もご用意いただいているので、それをみんなで見ながらお話を伺うという、とても貴重な会になりました。ぜひ金井さんからのお話を聞きながら、好きに質問とか、これってどうだったの、というような話をしてもらえる場所なので、どんどん金井さんに訊いていただければと思います。ちょっと自己紹介から始めていただいて。映像は途中で入れていただければと思います。よろしくお願いいたします。

金井登 私は金井登と申します。上八重原に生まれました。1936年、昭和でいうと昭和11年9月21日。ですから今日の日付を見ると82歳と2ヶ月。という生命をもらってまだ生きています。男4人、女2人、合計6人の兄弟の長男です。本当、このころは、昭和18年度に小学校入学ですから、戦時中になりますかね。

司会 そうですね。戦時中ですね。

金井登 ともかく食べ物がなくて食べ物がなくて。兄弟は6人。爺ちゃん婆ちゃん、父ちゃん母ちゃん、最高のときは10人家族。米なんかないからそうめんを、裏の山田精米所からそうめんを買って来て、10人分のそうめんなんて、昔はご飯を1人で2杯、食べてたから、おかずなんかろくにないから。夜、うちのお袋が、夜飯の用意をして、水切りをしながらそうめんをやってた。そうしたら昔の養蚕の先生が遅くに来て、「なんですか、今日は法事でもあるんですか」って言うんですよ。こんなそうめんを、山盛りにそうめんがあればね。「いや、これは自家用でございます」と。それからもう一つは、当時は給食ってものがなかったから、お弁当を持ってくわけですよ。子供が6人。いちばん末っ子が就学しても、親父はまだ定年前でしたから。農業改革委員?をやってましたから。なにしろ食堂というか、食事する部屋もですね、7個の弁当が並ぶわけだから、見事なものですよ。おかずは梅干しとか、味噌漬けとか、お勝手だって同然プロパンなんてないわけで、薪ストーブで一生懸命焚いて、**というのがあって中に水が入っていてお湯として使えたという、そういう時代で、とにかく今印象に残っているのは、腹が減ったということですね。とにかく腹が減っちゃう。

 まあ、そんな時代を経て、10人暮らしのスタートから今日まで家を途中で建て替えたりしながらやってきたということですね。細かいことは除きますが、社会人になったのは22歳です。この時に野菜の生産技術員ということで、野菜を作る技術をどういうふうにするか。こういうことで技術員になりました。昭和34年ですからその頃まだレタスなんてものは、作ってる産地なんてものはミツオカの山浦さんくらいしかなかった。で、山浦さんが先進的な技術を持っていて、レタスとかセロリなんかを、軽井沢で進駐軍なんかに卸してた。まず出だしは小沼農協です。技術提携。だいたい700メートルから900メートルです。標高が。高冷地で。ここで4年間。そこを4年で卒業して次にミツオカに行った。ここはだいたい700メートルから800メートルくらいの平坦地。長野県でいうと、非常に物が早く出る。年に2作出来る。3番目は野辺山農協です。これは1250メートル以上です。ですから7月になってやっと種を蒔いて、お盆の頃から最盛期に入っていく。高冷地ですよね。この3つのタイプの違った農協で技術員としてお勤めをさせていただきました。

 残念ながら私は人の前で話をするのは、人様が聞いてくれるのに私が行かなきゃいけないというのはまずないということで。農協時代は人の前で話をすることはうんとあったんですよ。定年になって以降ですね、次男坊の結婚式の親の挨拶以来です。人前で話をするなんてことは。聞くと平成17年が結婚式で、それ以降始めてです。そんなようなことでございます。そして4年ずつ農協の営農技術をやって、経済連にピックアップされて。経済連というのは大卒で採りますので、農協のひねたフンバイ?、コウバイ?、エノギジン?と、対等に話が出来ないんですね。

 組織販売というのは説得力と、それを実行するってことが、共同販売に繋がっていくんです。そんなことでね、経済連に行った時が34歳。経済連に入って、経済連の中での勤務場所といったら本社10年。県外事務所10年。支所6年。そして平成9年に定年を迎えました。

 定年で家にいるようになったら、役場の村長さんが来まして、振興公社になると。民営の中でやっているから純然たる会社にしなきゃいけないと。その会社のゼネラルマネ=ジャーとして来てくれないかと。それで、丁寧にお断りしました。私はもう長い間社会にいて、一年間だけは駄目だと。そう言っとけば大丈夫だと思ったんです。それで1年間骨休めして、2年目になったら「金井さん、1年経ったからお願いします」って来たんです。あまり正直に来られちゃったものだから、言い訳が出来ないもんで、振興公社ですね、明神館、下にもありました、布下の食堂と、そこを含めて会社らしい会社にしてくれと。私は本当にびっくりしましたよ。入ってみて。毎年1500万ずつの赤字が出るんですね。赤字で困らないというのはですね、こういうことまで言ってたか分からないけれども、振興公社の財布っていうのは村の行政の一般会計の通帳を使っているんですよ。お金の手配を心配するってことが全然ないんですよ。そうは言っても、いくら貧乏村だって一般会計の帳尻は残高がものすごくありますから、ボーナスくれるったって訳ない。普通の会社は大変ですよ。3ヶ月のボーナスだって2ヶ月のボーナスだって、通常のやり取りの中からどーんと出て行く訳だから、時によっては借入をしたりしながら出すのに全然そんな心配なしに、何時だって金だけはあるんだから。でも、それだけの赤字は毎年出る。   

 私は入って内容がだんだん分かって来るにしたがって、その理由が分かりました。こういうことってのは、言ってみれば私はまあ、構わないと思います。飲食業をやりながらですね、仕入れ先が小売店なんですよ。小売店が順番を置くんで、小売りの値段で明神館にお金を出す。飲み物だけ出してみたらね,新しい飲み物屋があるじゃないですか、酒や何か売ってる。そこに行って買って来たら話にならんね。ものすごく値段が違うんでね。当時の荻原部長へ「ちょっと小口現金出してくれ」と言ったら「小口現金って何だ」って訊くんですよ。「小口現金ってさあ、おい、じゃあ収入証紙から、そういう現金でなければ売らないものは、個人に金を立て替えろってことか。そんな会社組織ってありっこないじゃない。金勘定で小口現金ってものがあって、そういうものを使った後、使った後で整理をして金勘定を合わせてお金で出すのが普通じゃねえか」。そしたら「そんな制度はねえ。オラ知らねえ」って言うからね。俺、自分の貯金を百万下してって。

 そしたらある日電話が掛かって来て、「ちょっとエラいことになっちゃったから、来てくんねえか」。「何しただ」って訊くと「今、商工会の人に吊るし上げくってるだ」って訳だ。行ったら商工会の酒やなんかを売ってる人が、「どういうこんだ」という顔をしてる訳だ。私は「単純に申し上げます。株式会社らしくしてくれ、と言われて、私はここに来ました。私の個人の欲得は何もありません。皆さん小売業の値段はあまりにも高すぎて商売になりません。従って当然、会社としてやることをやっただけで、恨みもつらみもありませんから、ご了解ください」。こう言うと、向こうが「そういうことか」と、大人しくなった。「そうは言っても、どうにかならないか」と言うから、「まあ、基本的にはね,厳しい会社にするという任務を背負って来てるけれども、今までの経過も、育ててもらってるのもあるだろうから、じゃあ、こうしましょう」と。「俺はとにかく背負っちゃってる。百万出すから皆さん百万値引きしてください。そして2で割って、それより例え1円でも安く入れてくれれば買いましょう」と。そしたら「しょうがないな」と、商工会の人が呑んでくれた。

 そんなことで、タオルだって200円出して買ってるんだね。当時タオルってのは、中国製のタオルが来ちゃってて、今治辺りでもタオルの業者が商売にならない。あさひタオルっていうのが、呼んで訊いたら、同じ匁を合わせて、タオルってのは匁なんですよね。使ってある糸の匁で。今使っているタオルはどういうものだって訊いたら、「90円で収まります」って。下げようかと思ってたら、話が分かっちゃうからいいけれども、下八重原のおじさんの所に行ったら「あんな訳のわからないもの」って怒鳴り込んで来たけれども、「そんな話じゃない。商売ってものはそんなものじゃないですよ」と言ってね。「じゃあ、業者が持って来た見積もりとかがあるから、あんたが今採ってるタオル屋と話をしなさい。それだけの力があるか、自分でやりなさい」と言ったら、えらい勢いで帰って行きました。そしたら二日ばかりしてね、「俺さ、金井なんて生意気だと思ったけど、びっくりしちゃった。まあず業者のやつ、俺が知らねえと思って勝手な値段付けてきやがって」と。それで90円というのが、120円になった。それでも80円安くなるわけだから。120円にならなると言うから、「俺はそんなに細かいことを言うつもりはねえ」と。そしたら「おめえは大したもんだ。根拠があるんだから、大したもんだ」と。本気になっては怒られなかったですけれども。そんなことで振興公社のことをさせて頂いたと。辞める時に、「まあ辞めないでやってくれや」と言われたけれども、まあ「一年って約束だから」と一年待って、一年の約束だからってことで、勘弁してもらって。それからまあ、遊びましたね。

 家の母ちゃんもここにいるが、何しろゴルフなんか一年に300ラウンドもやったんだから。家の母ちゃんは文句言わないから。明日食べるおかずや買物が出来ればいいっていうことさえさせれば、後は遊んでてもいいっていう。そういうことですね。

 野菜を作るので私が一番ね、終わった時に感じました。就職して12年くらい経った時から、肥料を減らすとか、農薬を減らすとか、そういうものが流行って来たんですよね。現場で実際にやってればね、肥料をやらないで野菜が出来たらね,出来る訳ないでしょう。自分たち腹一杯美味しいものを食べて、具合悪けりゃ合意しないって、作物はね、この命を頂いて植物、食物、動物を頂いて、人間は生きている。それでなければ命を繋げませんから。そりゃ点滴で生きてるって言えば生きてるんでしょうが、せいぜい寿命は一ヶ月ってものでしょう。そういう自分たちの食生活をね、命を支えるものにね,何だか知らないが、その無農薬だ、無肥料だ、っていうね。和歌山のカレー事件がありましたね。あれ、人を殺したのはヒ素ですよね。それと有機肥料。それから塩素剤ですね。こういうものはDDTですね。DHC。これは残念ながらものすごく成分の残留期間が長いんだよね。体の中に入って溜っちゃうんだよね。排泄されない訳。そういうものは、今の農薬には実はないんです。みんな許可にならないんです。みんなフマキラーみたいなもんです。蒔きゃすぐに効くけれども、三日も経てば全然効かないんだよね。だから、そういうものも医者に掛かったつもりで作物をもっと大事にすればいいんじゃないかと。あまりそういうものを大上段に構えると無知に等しい。私はそう思ってるんですよ。そんなことも技術員時代には考えておったと。やっぱり健康で美味しい野菜作りのためには最低の農薬も肥料も必要です。それを安全使用基準に基づいて使うと。これが一番正しいと思いますので。

 それから、振興公社のお勤めが終わって以降、とにかくこれからが私の海外旅行が始まるんですよ。行ったのが10カ国と州3つですね。アメリカ、イギリス,スペイン、イタリア、スイスは2回、ドイツ、フランス、カナダ,フィンランドは6回。これが私のオーロラにはまった所なんですね。それからノルウェー所へ。

 特に外国に行って感じるのはですね,女の人って賢いですね。日本人は男性のグループでね、個人旅行に来ている人なんて誰もいません。一団体もいません。女の人は4人とか5人とか、必ずグループになって来るんですね。いろいろな話をすると、「これは家の娘で」なんて話をすると、「お父さんと娘さんが一緒に来るんですか、家なんかお父さんとなんか絶対にいかないのに、羨ましい」ってね。女房も一緒でしたけれども、言われましたけれども。本当に女性は賢いです。村でも女性はグループを作って人の話があれば聞く気があったりするけれどもね、男は「そんな話を聞いたって、あんなグループを組んで行くなんて」と、非常に気位が高いんです。個人個人の。だからそういう面では女性の方っていうのは、生活を楽しむっていうのが、男よりもずーっと上手です。これは痛切に感じますよ。

 3州と言ったのは、ハワイとグアムとアラスカです。アラスカにしても、寒い所です。これもオーロラ病で、アラスカで見たいということで行ったんです。フィンランドが一番、6回行ってますから、これ北緯68度20分あります。北極圏まで行ったら90度ですよ。北海道で北緯40度なんです。その寒さというのはですね、絶対に皆さんには理解してもらえません。

 私は一度孫を連れて行きました。見に行こうということで。着るものを用意してたから、「そんなものじゃ絶対に駄目だから」って言っても「大丈夫だ、俺は若いから」。連れてったら、固まっちゃいましたね。ぜんぜん駄目なんですよ。「オーロラが出たら呼んでやるから、部屋の中にいろ」と。部屋は暖かいですから。日本のストーブを焚いたなんてのよりずーっと暖かいんです。どのくらいの温度になるかっていうと、日中のお昼頃、真っ青に空が晴れています。ダイヤモンドダストがバンバン降ってます。見ると雪中温度がマイナス20度。空気中の温度がマイナス20度ですよ。太陽がギラギラ真っ青な青空の中にね、それでダイヤモンドダストがガンガン降ってるんです。それは本当に寒い所に行かないと見られない絶景ですよね。すごいもんです。 

 それからフィンランドっていうのはもう一つ、名物がありますよね。ああ、そうだった、サンタクロース。その里ですよね。旅費から経費からで75万円出すと日本へサンタのおじさんが来てくれるんです。

 そんで、そんで、めたそんで、そのうちにまあ、今度はビデオの世界へ入って来ちゃった。これまた、はまっちゃいまして。本当に摑まっちゃいましてね。こんなことは言うのも恥ずかしいがスタジオに100万、中に入れる機材が800万。恐ろしいものを作っちゃいました、私。でも母ちゃんは黙ってます。大丈夫です。(笑い)レベルはですね、私が自分で言うのも可笑しいですけれども、全然アマチュアではないと思います。言ってみればセミプロか、ハイアマチュアというレベルまで行っていると思います。平成26年までの13年間、御牧ケーブルテレビの東御ウィークリーという番組知ってますか。「皆さん、おはようございます。東御ウィークリーです」っていう。金曜日ですね。始まる時にはオープニングっていって、絵が付いてる音楽があって、終わる時には「ではまた来週」っていってエンディングの音楽が鳴って終わるんですね。オープニングとエンディングはね、毎週毎週金曜日に流す時のに、私が撮らなきゃならないんですよ。そうするとね、1ヶ月で8本ですよね。NHKあたりのプロが撮ると完成した画面の長さの20倍撮るんですね。私は大体7倍くらいなんですよ。だから3分のものなら21分くらいは撮らないと思ったものにならない、と。その時の状態で編集をしてみると、少し余計に撮ってないと、長く撮ってないと「うわー、切ないな」ってのがあるから。頑張ってやる訳ね。それを8本やりました。

 なにしろ13年から26年ですから、13年間やり通しましたから。だから私ね,ホラを吹かしてるわけじゃなくて、東御市の山の中、景色の良い所を渡り歩いて、知らないとこがないんじゃないかと思いました。旧の東部町から北御牧、景色の良いと思われる所をシラミ潰さにやらないと、間に合わないですよ。月4回撮れば、50本撮る訳ですから。50カ所の目新しい所をうそうそ13年間、やる訳だから、同じ所って訳にもいかないから。趣向を変えたりね、それでもやる訳だから、一生懸命ね。週8本ずづ、13年間。それからもう一つ、正月にでもなるとケーブルテレビから「皆さん、おめでとうございます」って。あれがまた、大変なんですよ。ある程度良い朝で、冬らしい朝ってのは撮っておかないと31日に雪景色で1日に良い景色でっていうと、1日じゃ間に合わない。31日までに撮っておかなきゃあならない訳ですから。そういう面では良い絵を撮りたいですよね。あけましておめでとうございます、で、そういうものを撮らしていただいてですね、やったと。

 それから私は寒い所へ構わず行きましたが、一番遠くまで行ったのはノルウェーのトロムセっていう所です。これは家に帰って地球儀でも見てもらえばいいですけれども、69度60分。北緯約70度です。北極星がとにかく頭の上に見えますよ。そんなことでありますね。やっぱり映像を撮るってことは光を撮るんですよね。なんか難しいことを言っているように聞こえるが、わかりやすく言えば、真っ暗闇っていうのは何も見えませんよね。ということは光がないから見えないんで、光を見ているんですよね。だから、よく、どこ此処、こんなにきれい、って言うけれども,そりゃその時の光のあり方っていうのが重要なんですよね。それが長い間に培って見るという目を養うと、すごいきれいな絵を撮れるようになりますということだと思いますね。今日はサーリセルカの1時間番組のオーロラですね、これを7分30秒にとにかく圧縮しました。 

 それから新年の挨拶、明神池の朝、これは3分30秒。11分あります。これだけは見てもらう価値があるかなと。そんなふうに思っているもんで、一つやってみてもらったら良いかと思います。もう一つ、このビデオをやっているなかで、皆さんBSの朝日、自分の故郷の宣伝する県下の協議会がありますよね。ご存知ですかね。何年だったかもう記憶にありませんが、後ろの方で樫胡桃を使って二人の相撲取りを作って、それでその土俵を作って。その土俵の上で叩いて、それで片方の胡桃が転ばなければいけないんですよ。俺が何回やったってだめで、両方転んじゃって。でも片方が何もしないで転ぶっていうのも可笑しいし。とんとんやってやっと転ぶんだけど、樫胡桃と雷電を組み合わせて、樫胡桃、雷電の里というCMを作ったんです。そしたらこれがグランプリになったんですよ。  

司会 CM大賞ですね。

金井登 グランプリになるとね、365日どこかでそのCMを映してくれるんですね。2位3位4位になると1ヶ月に1度、とか。だんだん下がって来るんだけれども。運良くですね、そんな賞も頂いて。楽しく映像の世界もやらせてもらった。それから故郷の中で絵になるってものは、この明神池ってものは素晴らしい。見て、え!って思うと思います。それから東御市にお金持ちの人がいますね。ネオンをいっぱい持って来て、年末からあそこを飾り立てる人がいますよね。あそこは社長さんがものすごく好きなんですね。

KK あのダイヤブロックの隣のエクステリア、三国のあれですね。海外からの輸入雑貨をね。

金井登 あれもきれいですね。やっぱり真っ暗闇のなかに煌めくネオンはきれいです。それもあることはあるんですが、4分30秒で詰めてあるので、まあ15分程になりますが、イルミネーションのものも見たいのであればやってもいいと、そんなふうにも思っています。

 アラスカの風景もすごいものです。欠点は、アラスカに行けば良いのが見られるんだけれども、ホテルから見られる所まで60ドルも掛かっちゃうんですよね。6000円ですよね。3泊で18000円も取られちゃうね。それでオーロラが出なきゃパーですからね。スキー場なんですよ。そこに喫茶店があって。待ってる間は自由に飲み物も飲めるんですけれども、出ると頭の上に出るもんで、首がくたびれちゃう訳ね。それでゲレンデで傾斜を利用して、家の女房なんか、ひっくりかえってね。雪が溶けてくるなんてことはありませんから。もちろん、フィンランドで雪が出ますけれども,降った雪っていうのは絶対に溶けないんです。さっきも言ったように日中で零下20度。それは当たり前ですから。15度なんていったら今日は暖かいと言いますから。自動車を飛ばすことといったらすごいですね。雪煙あげて。溶けて水が出ないから、滑らないんだね。スケートなんてエッジと氷の間に水が来ないと滑らないんだよね。すごい世界です。そのかわり、サールセルカの丘なんか見るとすごくきれいですけれども、日本と違うんですよね。雪が溶けないものですからほわほわなんですよね。一晩ですごくきれいな雪原になりますけれども、風が吹くと枯れ木の林になります。枯れ木林になっちゃう。そんなことですかね。口早にいろいろ説明しましたけれども、一つか二つ、なるほどっていう感じが、皆さんがもし持ったとすれば、持っていただければ、それでいいかなと。こんな所で、よろしくお願いします。

司会 この日のために長い番組を編集していただきまして、本当にありがとうございます。どれから行きますかね。

金井登 では、サールセルカから。

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