第13回知恵蔵の時間 森健太郎さん

知恵蔵の時間 第13回  講話 森健太郎さん

「自分達のデザインを考える」

2019年10月27日  14時~

於 まる屋  司会 小林恭介  撮影 橘正人

司会 はい、今日もお集り頂きまして、ありがとうございます。10月の知恵蔵の会は、ちょっと今までと趣向を変えたところで、やりたいと思います。今日のプレゼンターは森健太郎さん。森さんは、あと自己紹介がいろいろあると思いますけれども、地域起こし協力隊に関わって、今は梅野絵画館の方で今までのご経験だったりとか、様々な知識、技能を生かして頂いて、地域に貢献頂いているわけですけれども、そういうところから、森さんのプロフィールをお聞きした上で、今日はちょっと、ある意味、実験的なやり方なんですけれども、皆でコミュニケーションを取りながら、ここの、自分達のデザインを考えてみようよ、ということをやりたいと思います。よろしくお願いいたします。

 私は小林恭介と申します。僕はこういう新しい試みで、ちょっとわくわくしてて、今日はどんなふうになるのかなと思っています。よろしくお願いします。

TY 私は地域の本当に経験豊かな方のお話を聞いてきましたけれども、あ、TYです。えー、森さんは地域起こしで来てくださってからの、大変な恩人で、押し掛けては泊めて頂くという(笑い)、すごく厚かましくご厄介になっていて、やっぱりここの地域が引き寄せた若い方で、無限の可能性のある方だと思ってます。この古い歴史のある地域でもあるけれども、新しく来られた若者がどういうことをお話になられるのか、非常に興味があって来ました。楽しみにしております。よろしくお願いいたします。

TM TMと申します。森健太郎さんにはね、私が今ここで自由に動けるのは、森さんのお蔭と思っております。ちなみに自動車も交換いたしまして、森さんの貨物車、ということで「モリカ」という名前を付けまして、楽しく乗らせて頂いてます。ありがとうございます。地域起し協力隊という方だったので、この地域に対するものすごい良い見方を、たくさんされていると思います。是非ともこの地域のためのアイデアを出して頂きたく、今日は参りました。ありがとうございます。

小林麻美 小林麻美です。森さんとの出会いは、私が思い出す最初の森さんは、火のアートフェスティバルで自転車のサイクリングロードを造っていて、それはその前か、八重原にサイクリングロードを造って自転車を走らせようというので、自転車を改装したりして、そこの芝生で新しい試みをやっていた森さんなんですけれども、すごく眼の付け所とか、発想が本当に面白いなあと思って、共感する所が沢山あったんです。それから、やっぱり新しく北御牧に来て、そこで新しいものを生み出す、っていうことをいろいろ試みて来た方なので、そこでの苦労とかね、外から見た北御牧というのをすごく体験されている方だろうなと思って、これからの新しい北御牧を造って行く上で、キーパーソンになるんじゃないかな、って思います。そんな感じで、なんか、すごくプレッシャーを感じてますけど(笑い)、今日の新しい試みも楽しみにしております。よろしくお願いします。

司会 では、森さんのプロフィールもかねて、始めて頂ければと。

森健太郎 えーっとですね、じゃあプロフィールを。でも、この面子(メンツ)だったら、やらなくてもいいんじゃないかと

司会 いやいや、あんまり良くわかってないから、僕は。

森健太郎 そうかそうか、そうですよね。今日は初めて会う人がいれば、これまでの活動も含めて説明しようと思ったんですけど、勝手知ったる人達なのでちょっと短い時間で説明して、あと少しディープな話が出来たらいいなと。(プロジェクターの画面を指して)プロフィールはこんな感じですね。大学を終了して、地域起こし協力隊としてここに来て、ちょうど5年間仕事して、今は絵画館で仕事してます。

司会 地域起こし協力隊では、なんとか隊員とかって、あるんですか。

森健太郎 正式にはないですけど、文化事業の担当、みたいな。

司会 そうですか。

森健太郎 地域づくり、兼、文化支援、でいます。3年間、天空の芸術祭の立ち上げをやって、そのままずるずると美術館に、ということですね。

司会 あの、東御市の地域起こし協力隊ということですが、地域起こし協力隊は全国にあると思うんですけれども、

森健太郎 よく訊かれるんですけれども、これは紹介があったということで、それはそこの保科豊巳さんから、「募集が掛かるんだけど、来てみないか」という話があって、その時にしてた仕事をとりあえず止めて、移住して来たということです。東御市は初めての土地で、東御市を知ったのが、その時になります。皆さん、そんな感じじゃないかと思うんですよね。縁故があって、知人が住んでるとか、お仕事で前に来たことがあるとか、そういうことじゃないかと思うんですよ。特別なことがある訳じゃなくて、知り合いに言われて来た、というような感じなんですよね。

司会 なるほどね。

森健太郎 僕はほとんど、自分のやってた活動とか、作品みたいなものを見せてない筈なんですよ、ここに来て。だからそれをちょっと見せようかなと思ってまして。それでですね、意識的に自分の作品を出さないように、実はしてたこともあって、理由としては、たとえば「絵が描けますよ」なんて言うと、そういう人っていう感じになるじゃないですか。それがすごく嫌で、敢えてまあ、「いろんなことをやってますよ」みたいな言い方をしながらやってました。

 僕はニーチェ一派なんで、無神論者です。神は死んだ、なんて、地で行くね。僕、あの絵描きの絵画科って、絵を描く科にいたんですけど、ほぼ絵を描かずにパフォーマンスとか、そういうのをやってたんですよね。大学の最後に造ってた作品で、(プロジェクターで映し出された壁の写真を見せながら)「分りますかね、この画像で。これは人間なんです。下の方に書いてますけど、研究生の頃の最後、卒業制作で皆、大きい絵を描いたり、でっかい彫刻を造ったりするんですけど、

司会 卒業制作で、ですね。

森健太郎 そう、4年間やって、自分はここまで出来るぞ、と。いろんなものが造れますよ、というのをやって、描いてるんですけど、僕は組体操をしてもらう、というのを、絵が飾ってある中でやってたんですよ。何でそういうことをしてたかっていうと、やっぱり美術って何なのかということを、それぞれ考えるんですけど、僕にとっての美術っていうのは、モノを造ってもあんまり意味がない。モノに意味がないんじゃなくて、そのモノの回りで人がそれを見たり、聞いたり感じたりっていう、人の動きの方が実は美術の本質であるんじゃないかと。その中で民主主義、今では全体主義になってますけど、人と人とが話をして、調整をして、折り合いをつけて何かのことを成して行くことが実は結構、美術的だよな、と思ってるんです。何となく伝わりますか? 

 僕らが道具を使ったり、絵、ってものを選んだり、絵の具を選んだり、こういう形で人に見せたいと思った時には、そこには絶対、人と人との調整、ってものが入って来る。林檎が美味しい、絵を描く時に、青い絵を描くと、美味しい林檎に見えない。赤い林檎を描く、っていうのは僕らが中から課したことではないんですね。見てる人達が美味しそうだと思ってくれるから、僕らは赤い林檎を描く、みたいなことが、いろんなことで起きて来る。それを端的に示したいもの、と言って、行き過ぎると、こういうことになっちゃうと。

 天空の芸術祭の作品と比べても、特にこの地元の人達からすると、何やってるか分らない、と言われるタイプの作品を造った訳ですよ。僕は基本的にモノは、造るは造るんですけど、そうじゃなくて、何をなしたか、とか、何をしようとするか、とかということが重要なんですよね、自分の中で。

 瀬戸内で造ろうと思ってた作品で、山の標高を高くする、というのがあるんですが、これはプラニングの段階で一千万円くらい掛かる、予算が。これ、標高を1m高くすると、グーグルマップからゼンリンの地図から、世界中の地図が変わるんです、それで。次の年から。それって結構すごいことだなと思うんです。ちょっとやったことが世界中の数値を変えちゃう、ってことが出来たら、これを手伝った人達が何かこう、自信みたいなものを持てるんじゃないか、それを皆でやってみよう。皆で世界中の表記を塗り替えてみよう、ということを提案した。(設計図案の映像を示して)これがそのドローイングなんですけれども、これはすっとばしちゃって。

 (次の映像に替えて)これは、いろんな人の話を聞いてみよう、っていう作品を造ってました。これは七色の煙、僕の生まれ故郷の北九州にあって、工場の排気ガスの色がいろんな色をしてて、製鉄の町なんですけれども、その精錬する時の煙の色が、いろんな色があって、七色の煙、っていう言い方をしてるんですね。それが、まあ、ある世代から、世代毎に意味合いが変わって来るんですね。結構お年の、70歳とか80歳くらいの人だと、工業化の象徴であって、非常に前向きに捉えてる。40代50代かその前後くらいになると、環境破壊ということで。もっと若い人になると教科書の歴史の中に入っている、昔の言葉になる。そういうふうに言葉の意味合いが変わって来る。というようなことをやってました。そういう作品です。記憶について、思い出について。

記憶って、だんだん変わってっちゃうじゃないですか。なぜ、なぜって、記憶って変わっていっちゃうのを聞いてたら、それが良くて。

 今回僕が話したいテーマみたいなもので、みんなのシンボルを考えるということですが、変わって行くシンボルとか、自分達が心の中に持っている、これがこの町のシンボル、この村のシンボルだと思っていたことが、はたして本当にそうなのか、ということを考えて行きたい。そういうことを今日、話せたらいいなと思っています。

 このあたりは最近の作品で、今、天空で飾ってますね。これまでの活動をちょっとまとめると、僕は人と人の作用みたいなものをテーマに作品を造っています。それが徐々に転じて行って、人の思い、それとか記憶とかに置き換えるんですけど、記憶、皆のメモリーが違うことで、いろんな当たり障りがあったりとか、理解が難しかったり、すごく無理、ってことが起きている。そういうものを繰り返しながら、世の中って作り上げられているよね、っていうのがベースにあって、僕は天空に乗り込んで来た、ということです。長い間、ありがとうございました。というくらいの話しか、出来ませんけれども。どこまで行けるのか、探り探りですが。

司会 質問とか、ありますか。

TY 一渡り聞いてみたいです。今までの所は私なりに理解した、という言い方は、正しいかどうかは分りませんが、ああ、そういう見方もあるんだなあ、と。

森健太郎 ありがとうございます。ニーチェのことが、ここに繋がって来まして、ニーチェの言葉で、「人の個性は経験によって得られるものではなく、むしろ経験しない部分によって個性というものが決まっていくのだ」というのがあります。まんべんなく経験した人間というのは、全員と話が合っちゃうから、実はあまり個性的な人ではなくなっちゃう。そうじゃなくて、この人は知らない人なんだ、分んない人なんだ、という方がむしろ個性としては際立っている。そういうようなことをニーチェは言っておりまして、これって皆そうだなと。僕は野球のルールは分らないですよ。サッカーも全く分らない。スポーツは全然知らない。だから僕はスポーツは出来ない。スポーツ以外が出来る人、スポーツが出来る人、そういうことが皆あると思います。

小林麻美 ニーチェにすごく共感する部分があるのは、どこからきっかけがあったんですか。ニーチェのフレーズにビビッて来たんですか。

森健太郎 学生の頃って、やっぱりかぶれるじゃないですか。「神は死んだ」なんてフレーズに。それでニーチェの本当かをばっと読んだりとか、人生に対する考えが拡大するんですね。あの辺りはすごくしっくり来たんですね。いいな、と。もちろん、すごい皮肉屋なんで、抜けてることなんかをわざと嫌らしくいったりとか、そういう所なんかは共感出来ないんですけど、言ってることは分る所がある。

司会 個性というのは、これが出来る、っていうようなことで自分の個性を、これでいいのか、っていうことで、これでやるとか、やらないとか、そういうことで自分の個性というのは際立って来る、ということですか。

森健太郎 九州かどこかの島で、地域起こし協力隊が山ほど行って、港の入口に、この村には何もない……、ああ、言葉は忘れちゃったな。

司会 たぶん、あれだな。島根県の隠岐の島か、ないものはない、とか、そんな感じ……

森健太郎 ないものはない。その問題を出したのは、この北御牧、東御市を考えた時に、「いろんなものがあるよ」っていう言い方をしちゃうじゃないですか。

司会 あれもこれもあるよ、って言い方ですね。

森健太郎 美しい自然、景色があって、って、そこら辺を引き合いに出して戦い始めると、キツい訳ですよ。そうじゃない心持ち、っていうか、ここはこれとこれがない、ということをポジティブに捉えるというか、言い方はすごく難しいけど、今は知ってる人ばっかりだから、こんなに考えながら言うのも許されるかな、と。

司会 ないものは確かにある。

森健太郎 「あるもので勝負する、っていうのはキツいんじゃないかな」と、僕はやってて、そう思ったんですよ。「現代美術は、すごくイケてるものがあるよ、東御市は」ということを、たぶん当初はやろうと思ってたんですよね、実は。それでは戦えないだろうな、というのは1年目、2年目くらいからだと思っていて、僕自身が。他の人には言わないんですけど。良い作品。面白い作品。面白い取り組みがある、ということを一番にすると、日本中にもっと良いものがある場所、っていうのは山ほどある。僕らが今、この時に持たなくてはいけない心持ちは、「天空の芸術祭の作品はそれなりに面白いよ」と。「けど、それ以外にも良いものがいっぱいくっついているんだよ」というような組み立て方を、出来れば僕がいるうちに出来れば良かったなと思ってたんです。関わっていた3年間のうちで、そう上手くは行かなかったという話で。

 今、考えていることは、その話から繋がって行くんですけど、あと、地域起こしを5年やってきました。で、残ったことというのは、アート、芸術に求めるものというのは、それぞれ違うと。TYさんも違うし、たぶん小林さんも、関わっている立場で違うし。それは観光で名前を売り込むとか、文化的なものを豊かにすることで楽しむとか、地場産業を盛り上げてイノベーションするとか、コラボレートとか、何だとか、かんだとか、みんな言うんですけど、みんな違うんですよ。この状態、って結構不幸だなと。

TY 作家として、それともある人にとって、不幸?

森健太郎 関わる人すべてにとって、ですね。事務局としても、これは不幸なんですよ。というのは何を、どこを、目標設定がきちんと出来ない。してる筈もない。求めてる目標地がみんな違うから。観光的に名前が売れました、といった時にね、「俺、それを求めてないから」とか言い出しちゃったりする。地場産業をといっても、「空き家が空いてるから、空き家を何とかしてくれよ」とかいうのを延々と繰り返してる。周り中で。そういうのって、やっぱり不幸だよね、って。

 で、今日、出来たら良いな、と思ってるのは、「アートっていいよね」「文化っていいよね」っていうけど、何て言ったらいいのかなというのを、いる人で言葉に出来たらいいなと。僕は「アートとか文化が盛り上がったらこの町が良くなるよ」というのは実はあるし、偉い先生がこういう町とか村に対して、言葉とかシンボルとかにして落す言葉というのは、きっとあるんです。それが本当に正解かどうかというと、やっぱり答えはないと思う。これって本当はどういうことなんだろう、ということを小林さんとかTYさんとかに、少しでも脳みその隙間に入れられたら、今日のこれをやった意味があるんじゃないかと。

TM ちょっと私なんかは次元が違うんだけど、今、李偉さんという人が来ていますけど、あの方がですね、プーアル茶をさ、こう、トトト、と煎れるのね。そうするとさ、淑子が言うんだけれども、突然、鳥の声がする、鳥の声が聞こえるようになるんだって。

TY 本当にそうなの。虫の声だったり、全然、今、目の前しか見てなかったのか、聞いてなかったのか分らないけど、ちょっと広がる所がある。いきなり聞こえて来るんです。

TM アートっていいよね、ってことに置き換えてみると、ちょっと通じる所があるような気がしますけど。

小林麻美 何か、分るような気がします。天空の芸術祭で作品に触れても、日常の時間の流れとかと、視点とか、スイッチが変わるんだよね。

TY やっぱり非日常、っていうのがね。きっと、生活じゃなくて、何か違う感覚なんだよ。

小林麻美 時間の流れ方とか、その作品を見た後のものの見方とか、感じ方…… 見てる時はその作品に集中してるんだけど、

TM それからもう1つね、李さんの作品を丁寧に説明すると、地域の記憶ということで説明する訳ですけれども、これは渡邉医院というお医者さんの家だったんですが、李さんは東洋医学の観点からちょっと病気ではないけれども体の調子が悪い、それがこの薬の記憶だとか、お医者さんの記憶みたいなもので皆が良くなって欲しい、という願いの作品ですというと、その作品に対して手を合わせる人が、3人も出て来た。説明があって、それから作品に触れて、拝むという気持ちになったんじゃないかと思ったんです。

TY いろんな在り方の1つですよね。ニーチェだと、そういうふうには、ならないと思うんですけど。

小林麻美 本当に李さんの作品には、命がこもっているように思いますよね。

TY でも、そういう意味では「アート」って、生き物みたいな気がする。人が生み出したものということで、肉体的な子供とは違うかも知れないけれども、もっと直接的に出て来るその人の内容というか、そのもの、っていうか。

司会 TMさんは写真、カメラを撮られますが、なんかその切り取り方というか、やっぱりそこで、「あ、これってこういう意味がある」と。たとえばそれを見た方が、「こういう見方、ってあったんだ」と。たぶん、そういう見方、ってあるんじゃないですか。

TM それはありますね。

司会 それから、自分ではそういう見方はしないけど、その写真を見た時に、「こういう角度でみたら、これ、ってありだな」ということもあるんじゃないかな。

TM だから、他の人が撮った写真で「あ、しまった。こういう所を入れておかなければ」と思ったりね。仕事の写真だから、あれが入ってなきゃ駄目だよな、というのがあったりするのね。そういうふうに写真としての要件というか、写真はたくさん入るけれども、その中に必要なものを入れる。余計なものは入れないというギリギリのせめぎ合いみたいな。

司会 そういうことを聞くと、さっきニーチェが言っていた個性というのは、存在しないものがあるから逆に個性であるという、逆転的なのかも知れないけど。

TM 逆にね、さすがだよな、ということもあるんですね。

森健太郎 アート、というものに対する見方というのも、特に、何となくそれぞれ持っているような感じがするんですよ。これまでの議論はいいな、と思っていて、それぞれがアートに出会って何かが変わったりとか、そういうような、見た、とか、そういう経験をたくさん積んでいる。じゃあ、口に出来ることというのを、上手く喋ってる。もう1つ議論の餌として出したいのは、最近だと愛知トリエンナーレ。あれって、どういう問題かというと、僕もきちんと整えてないんで、それぞれの見方がある状態であれなんですけど、アート作品というものがあった。それっていうのはひとつ、何かスイッチが変わったりとか、新しい見方だったりとか、社会の見え方みたいなものを提示するものとして出した。それに市長が何かを言ったということは置いておいて、僕があそこで感じたことは、そういう新しい見方を提示しているんだよ、という言葉が通じない人達が一定数、世の中にいた。いたんです。新しい開き方があるから、どこまで許されるか、そういう自分達の言葉が通じない。この感覚がうまく通じない人達に対して、このアートという立場から、どういう伝え方が出来るんだろう。ということは、ちょっと考えてなかった気がするんですよね。あの時に関わった人間、って。そういう人達の意見も「違う世界の人達だから」と、ずーっと距離をおいてたような気がする。芸術祭をここでやりながら「分る、分る」ということが、山ほど実はある。「アートっていうのは、こういうのも、触れた人達の何かを開くんです。だから経験すると、何か良いことが起きる筈なんです」「いや、そんなんじゃねえんだ。俺たちはアートなんか、いらねえんだ」それ以上の言葉が出ない。という状況があって、その時に相手に伝えるためには、どういう言葉というか、どういう位置というか、保っていればいいんだろうか。僕は実は分らなくて、何かヒントみたいなものをもらいたくて、もらいたいな、と思ってて。

TY 昔から芸術家は、たいていの場合、「穀潰し」と言われてたし。(笑い)食べ物を得て生きて行く、という所からすると、ほとんど遊びの領域と思われているから。本当に額に汗して腰も痛くなり、足も痛くなるような、そういう所から見ると、やっぱり相当な贅沢の分野だと思います。そういう人達と共に楽しめるというのは、かなりなギャップを埋めないと。どっちみちね。

森健太郎 そうなんですよね。もともと持ってるものみたいなものに落し込んじゃって、見る才能がある、ない、とかいう落し込み方で納得されるような方って、結構いるんですけれども、実はそうじゃないんですよね。置かれてる状況みたいなもので、アートというものをどういう捉えられ方をするか、結構変わってくるだろうと思うし。貧乏だから、お金持ちだから、ではなくて、心の余裕みたいなものがあって、まあ、これも贅沢品みたいなものだけど、それがあって、人と楽しめるようなものである筈なんですよ。となるとですね、アートっていうのはある程度、心理的な余裕の中でしか楽しめないものだとすれば、アートを楽しむということを、芸術祭の一人間として考えることって、楽しめるアートを持って来ることはたぶん、道順としてはちょっとずれてるんじゃないか。この町がアートを楽しめるような町にするためには、実は楽しいアートを持って来るよりは、楽しいアートが楽しめる基盤の方を整える。余裕のある人を増やす。余裕のある生活リズムみたいなものを何らかの形で提示する。それに乗っかって来られるような人を増やす。ということを実は平行して考えないと芸術、アートを楽しめる町、それによって豊かになる町、っていうものに辿り着けないんじゃないか。ということを、ちょっと思っていると。

 そのためにまる屋さんみたいな、この場所とか、「問う」さんとかもそういう感じがありますけど、そういう、お昼にランチを食べに来て、ちょっとゆっくりする、みたいなスタイルがもっと増えて、ここの影響力がもっと広くこの八重原の土地におよんで、畑仕事を終えたおじいちゃん達がちょっとサンドイッを食べようとか、今日はおにぎりじゃなくて、サンドイッチ食べようとか、考えられるようにしよう、ということが、実は近道じゃないかなと。文化的なものを豊かにしていくためには。ということを今、考えています。でも、そんなことを考えちゃうと、僕はアート業界ではわりと居場所がないというか。(笑い)そんなことはいいから、良い作品を造れよ、って言われちゃう。

TY 土地の人はこのまる屋さんを、何かすごく憧れを持ってる場所として、味わいに来てますよね。

小林麻美 ありがとうございます。

TY ここの何かすごく来やすい、暖かい、新しいものに惹かれて、また人と会えるとか。いろんなものが混ざって、しかも本格的なドイツのパンがあるとか、ちょっと面白いことがあって。みんな興味は持ってますよね。

森健太郎 うん、僕はまる屋さんによく食べに来ますけど、そうなんですよね。卵が先か、鶏が先かみたいな話で、余裕を持てるライフスタイルみたいなものが、出来るからこういうお店が出来るのか、そういうお店が出来て、気付いて、こういうスタイルになっていくのか。そういうのがある、っていうことは町が豊かだ、ってことなのか、町が豊かだからそういうお店が出来るのか。そこら辺が、僕はよく分らないです。どっちが先なのか。ただ、平行して考えなければならないことだろうというのは思ってる。この辺りで、どうしようかな。

TM 天空の芸術祭についてね、私は説明が必要である。作家とそれからとても良く分った良く了解の出来た、言葉を持った人が必要だと思う。ホ.ユンさんという作家さんが、シーソーを使った作品を造った。その時の、数日前の懇親会の時に、こういうつもりで造りましたという話、しかも「私は夢を見ました。そしたらラクダとウサギ?

TY ワニ、「ラクダとワニと自分がシーソーに乗って遊んでる夢を見ました。それを何とか形にしてみたかった」って。「オーッ」ていう感じだったです。

TM それから韓国の女の人の遊びとして、シーソーがあるんですよ。ポンッて飛び上がって、こっちが下がって、立って乗ってね、そういう遊びがあるんです。女の子の遊びであって、それが出て来たのかなというふうに思っているんだけど、そういう説明を聞くとなるほど、と。もうちょっと前に聞きたかったなと。そしたら見方が全然違ってたなと思うんですよね。そういうのを、やっぱり語り部がいなければ、そういう夢を見て、ああでした、こうでした、というような説明すると「そうかあ、なるほど」と、韓国の女の人の気持ちにすごく共感出来るかも知れないし、そういうようなことをすべて、もっと詳しく詳しく聞ければ、理解、共感が出来るんじゃないかなと。森さんの立場とはちょっと違うかも知れないけれども、私はそう、単純にそう思っています。

 去年の話ですけれども、村の人がやって来て、空の写っている映像があったのね。もう1つ反対側に森の映像があって、傘を差してじっと動かない人が写ってる。「森か。空か。だから何だ」って、そういうのがあって。でも、ベニさんの考え方というのは、「私達は天と地の間に生きています。」ということでした。それで、まる屋さんの前で、ピンホールカメラみたいなもので撮った写真が、三枚くらいあって、それをおみくじみたいに取り上げると、「もう少し立ち止まって考えましょう」とか、そういうふうなメッセージが書いてあるんです。そういう話があれば、どういう意味があるのか分って、楽しんでもらえるんじゃないかと思うんです。ただ単に置いてあるのではみんな、「何だ、これは」という話になっちゃう。もう少し丁寧に、親切に話をしてあげると分ってもらえるんじゃないかと思うんだけれども。

森健太郎 そうですね。その辺りなんですよね、問題は。この市に観光に来て、一見(いちげん)さんでも、それなりに理解して楽しめることが目的であれば、難しい作品に解説をつけるよりも、簡単な作品を説明なく置くというのが、実はコスト的には一番低い筈なんです。何かもっと頭を開くものをやる、頭の体操みたいなものを皆にやってほしいなと。その側面を楽しんで欲しい。であれば、観光や産業連携とかということは一旦、眼をつぶっちゃって、もっとパズル的なものを、きちんとした解説の方にコストを掛けて展示する方が、目的は達成出来るかも知れない。

 今、この話はTMさんから聞いて、僕も同じように思うし、たぶん皆さんも同じことを、どこか思っていて、でも、今、僕が言ったことに対して「いや、そうじゃないんじゃないか」って所もある筈なんです。ここの摺り合わせみたいなものが、本来は実行委員長なり、もっと上の親分なりが摺り合わせて行ければ良いんですが、それが難しい状況にある。で、そうであるなら、「どうするの?」って、皆の意見を聞くことで、そっちに寄せて行くのか、それとも一部の何人かが決めちゃって行くのか、その辺がすごく難しいんで、あんまり考えたくないんですけど、まあ僕が言いたかったのは、「アートって楽しいよ」って話もあるんですけど、それが楽しみとしてこの現場に落ちて来た時に、考えなくちゃならないことってたぶん、もっといろいろある筈なんです。それって根本的には人と人との摺り合わせになるとは思うんだけど、「アートっていいよね。楽しいよね」というだけではそう上手く行かない。「アートっていいよね」じゃあ、何でいいんだろう。何がいいんだろう。どのいい部分を皆に知って欲しいんだろう。という所まで考える人が、きっと天空には要るんだろうなと思っています。

 本来、初めての人用に、これまでの活動とかプレゼンとかがあっての2時間予定だったんですけど、もうぼちぼち終わりそうなんで。でも、もうちょっと粘りますね。

TY 私にしたら、森さんがこれから芸術家として、地域に関わる関わらないは別として、世界に関わる中で、それこそ森さんはどういう芸術の方向性というのか、理想の姿というのかがあるのかなあ、というのが知りたいです。

森健太郎 僕の理想の姿というのはあって、名前が出てこないんですけど、ブラジルにいる、あるアーティストがですね、芸術家として市長選に出馬したんですよ。ブラジルの都市の。で、その人が当選したんです。その時にやったことというのは、町にアートを増やすことではなかったんです。彼は自分のアート活動として、町の下水道を整備した。

TY 素晴らしい!

森健太郎 そうやって町の人を豊かにするという意味では、それだってアートだと思う。って、やって、当選して、下水道を全部整備して、そこから一切、アーティストとは名乗らない。僕のアート活動はこれだ、と。僕はそれってすごくいいな、と。さっき僕が言った、その、アートを楽しむための土台造りだってすでにアートだと思えるよね、ということも、その人から影響を受けていて。というような辺りで、特に自分の小難しいアート作品をやっていたこともあり、そこに到るまでの道筋というか、土台みたいなものを整備する方が、たぶん今、急務だと思っています。そういうようなものをアートとしてやって行きたいと。

TY 大きいですね。

森健太郎 市長選に出馬してやろうかと思って。

TY いいんじゃないでしょうか。

森健太郎 それはそれで。自由大学とかやってる作家さんで、ジョセフ……超有名なんですけど、えーと、ヨーゼフ.ボイス。ヨーゼフ.ボイスという作家さんが、20世紀の作家さんで、有名な所で、いるんですよ。で、ヨーゼフ.ボイスって、彫刻家なんですけど、まあ、彫刻作品なんかも作るんですけど、彼は社会彫刻という、彫刻というのは形を作る、で、社会を形づくるのも一種の彫刻活動なんだ、ということを提唱して、政治活動とかもそうですよね。緑の党とかを作ったりとか。200本の杉の木を植えてグリーンレーベル作ったりとか。そういう活動って、実は20世紀頃、1900年代の中旬くらいから割と世界中で行われているという経緯があるんです。政治とアートって結構近いものがあって、アートで形づくるものって何なのか考えた時に、やっぱり人の幸せだったりとか、喜びだったりとか、何か豊かさというものに繋がっていく訳ですよね。

TY 土台にそれがあれば、どんな作品を持ってこられてもみんなオーケーですものね。

森健太郎 そうそう。そういう所をきちんと見れる人というのが必要かなと。実は愛知トリエンナーレにいた人達、参加した人達って、当初はそういう人達だった筈なんですよ。僕の見立てでは。アートって、社会のことをちゃんと考えなきゃいけないよね、と。委託される中でね、そういう一派の人達が実はあそこに展示をしていた。今回すごく残念なのは、出た時の反応っていうのが「アートっていうのはそうじゃない。楽しめるものなんだ。万人が楽しめなきゃアートじゃない」みたいな意見が結構多かった。という中でちょっと日本のアート界隈の状況、見られ方みたいなものへの、言い方厳しいけど失望感みたいなものが結構強くある。何とかして行かないといけないな、という思いもある、みたいな。そんな状況ですね。

司会 今のお話の中で、町づくりもアートだ、っていうね、アートとかって表現とか、デザインとか、親和性があるんじゃないかなと感じる所があります。言ってみればまる屋一つをとってみても、一つの作品だし、一つのアートかも知れないなと。こういう、作って行くということが。そういうアート的な視点から見た時に、ここにこういうものが作られることによって、何が生まれて来るのか、っていうね。まだ未知数だけど、形成されて行く中でどんな変化が起きて行くか。それが地域デザインだったりとか。行政というものも一つの、もちろん町づくりだったりとか、いろんなプランもそうだけども、やっぱりそれも一つの、どういうふうな町づくりをしていくのかっていうのは一つの芸術かなと。広義の意味ではアートであるというのは感じますね。

森健太郎 いろんな所に、行政的な仕事の中にもアート的な側面というのは大きくあって、海外ではアートという言葉で使われることが、日本ではデザインという言葉に、たくさんすり替わった状態で入って来ている。○○デザインとか、デザイン思考とか、そういうふうな言い方になって入って来ますけど、わざわざアート的な思考って、なって来た時に、僕の中で具体的なものとして持っているのは、長期的な視点。5年10年とかじゃなくて、50年とか、100年とかって視点で。物事を考える時には、アート的な観点で見ないと判断を誤るだろうと思ってます。何故かというと、アートっていうのは最終的に理念とか哲学になっていくと思うんですよ。その町とか建物とかいうものを、どういう理念のものとしてそこに残すかと考えて選択をしていくと、今は損だけど、10年後はもしかしたらバックが還って来て、とかということに惑わされずに、ここの存在みたいなものをきちんと定義出来て、上手く行けば50年100年、ここは100年続く庭園なんだよと。ここは100年続く芸術むら公園でね、っていう話に出来るかも知れない。まあそういう一つの視点、アート的な解釈を持つといいのかなと。モノを作ることがアート、とは決して思わない。上手いモノを作ることがアートだとは決して思わない。そうじゃなくて、そこに視点と理念があって50年100年、残そうと思う心持ちみたいなものがあると、僕はそれをアートと呼んでいいのかなと。

TY 森さんのアートは個人的なアートじゃなくて、森さんにしたら個人的なアートなんだろうけど、森さんが巻き込んでいるそのアートっていうイメージは、やっぱり、もう時空を超えたくらいの大きさがあって、誰かがその絵がいいね、とか、そういうレベルじゃない訳ですよね。

森健太郎 そうですね。 

TY やっぱり地層くらいの幅があり、何というのか、デザインするのも社会であったり、個人が悪戯書きをするくらいの所から発展したものよりは、何かもっと人類とか、社会とか、そういうことのデザインというのか、森さんのアートは哲学的ですよね。

森健太郎 かなりそうですね。

TM この芸術むら公園が、私は一つの舞台だと思ってるんですよ。芸術むら公園の利用者としては、絵画館というのはね、象徴的な存在としてある。だから地域のために、という形で登り窯があったり、竹紙工房があったりということで、それぞれが楽しめるような活動をして、自分のアートっていう、作品を高められるようなアート施設だと思うんです。とても大事な、皆がほっと出来る、それから毎年スケッチ大会であるとか、そういう時に活用が出来る公共的なスペースとして。ここを活動の舞台であると考えてみると、すごく新しく、また、私はここでこういうふうな展示をしたい、というようなことが出て来るのではないかと思うんです。そうすると、ここの環境整備ということだって、そういうことを高い視点で見る人が絶対に必要なんだよな、と。ここの環境デザイン、維持管理、皆がこういうふうな活動が出来る場として、考えることが必要なんじゃないかと。誰かそういうことが出来る人はいないだろうか、と、私は思っている。

森健太郎 今のお話ですけど、二つ、言いたいことが思い浮かんだんですよ。そういうふうに土台をつくることを含めて理念が存在しているのは、基本的にはアートであると思う。この公園をつくることも、アート的な観点がきちんとある筈だ。そこに多層的に、その上に別のアートがかぶさってくるということが起きる。実は皆がそれぞれ持っている筈、そういう哲学というか、長期的なスタンスを。で、もう一方で、これをきちんと持っておかないといけないのは、アート的な視点を持って出来上がったものだとしても、それを守るということは、また別の観点な筈なんですよ。長期的な、つまり経済的な観点に立たないからこそ、短期とか中期とかいうレベルで「解体しろよ」とか、「儲けが出ないから要らないよ」なんて事は話さなくて済む代わりに、アート的な理念みたいなものが、もう立ち行かなくなった時には、その作られたものは壊してしまう。必要ないものとして、きちんと処理をする。こうした事が、実は必要は必要なことだと思うんです。あそこにある女神像だって、実はこの公園だって、その理念が立ち行かなくなった時には手放すタイミングが、いつか来る筈。で、たまたま千年二千年残ると、あのサグラダ−ファミリアみたいになる訳ですけれども。(笑い)僕らの持ってる勘違いとして、アートって守らなきゃいけない。何かあっても保護しなきゃいけないと、どっかで思っちゃうんですよ。

TM 私は守るべきというものではないような気がするのね。ここは例えばカーネギーホールのような場であって、舞台だから、終われば全部、片付けてしまう。次の人が、役者がこういうふうな形でやる。終われば拍手喝采とともに退場して行く。そういうふうなイメージですよね。

TY やっぱり出来たものも、社会とか公園も含めて皆、それなりの生き物というのかな。命というのか、サイクルがあって、やっぱり変化もするし、そこに集まった人も含めて本当に変化して行く。どこそこがいい、って言っても今、いる人が作っている世界だから、人の考えや集まった人によって変わっちゃう。そういうふうに皆が水道管を持っているような、そういう発想も、土台があったら、それだって命があるでしょうけど、でも、それをやれることがすごいですよね。

司会 この芸術むらが、一つのプラットホームだとする。それとまあ、今、いろんなレイヤーが重なって行く訳ですよね。もちろんここには絵画館があったりとか、芸術活動があったりとか、いろんなことがあって、そうしたレイヤーが重なって行く中で、ここのプラットホームの中でいろんなものが動くみたいな感じなんですけれども、何か僕の中ではそういうことが起きてくる、っていうのはいいことかな、と思うんですよね。ただ、今の話しの議論だと、どうなんですかね、その中でもやっぱり、必要ないものはもう退場みたいな、そういうものは必要だという

森健太郎 えーっと、そういうことではない。そうじゃなくて、人って例えば「権威だよね」とか、「守らなきゃいけないよね」っていう所から入るものって、非常に議論しづらくなるじゃないですか。それが、ここら辺からの話しに入ってくるんですけど、例えばですよ、ここの事を題材にしていいのかどうか、まあ、いいか、録音もしてるし。

 八重原用水の歴史がある。「200年300年の歴史があるんだよ。その人達にここの村を作ってもらったんだよ。用水を守ったり作ったりした人達に。分かるかい、あんた達」て、言われた時にですね、言い返せないじゃないですか、僕ら。「分かりません」なんて言えないから、「そうですね」って。そういう形でずっと受け継がれて来たものがあるけれど、それって結構キツくないですか。という話しで出したいんです。八重原用水の歴史って、どこが大切なの。だって用水の歴史なんて、要は公共工事じゃないですか。大丈夫?

TY ええ、それは大丈夫。

森健太郎 公共の事業じゃないですか。浅間のそこのビューラインを作りましたよ。っていうのが、200年後に「ビューラインというのを作ってさ、ここからここまで30キロ通したんだよ」と言ってるようなふうにも聞こえる。そういうものとして、ちょっと一旦、歴史みたいなものから切り離して、この町の状況を取り込んだ時に、その大前提みたいなものに、本当にどこまで僕らが引き継ぐ必要があるんだろう。もしかしたら、それはいらないんじゃないの。っていう柔軟さみたいなものをどっかに持ってたらいいなと。ここにいる人って、大丈夫な気がするんだけど、その辺りは。

TY だって、その用水を引くのに2週間くらい、皆30キロの荷物を背負って、崩れた所を直して、泊まりがけで直してきた歴史があって、その父親、そのまたお祖父ちゃん、っていうその脈絡の中で生きて行く人にとったら、「ないことにして」って言われちゃうと、何か拠り所がなくなっちゃう、みたいな。

森健太郎 その拠り所が、

TY 確かにキツいから今、継ぐ人もだんだんいなくなっちゃうし、しかも、それはコンクリートになった途端に、そこまでの団結力はいらなくなった。日帰りで、トラックで帰ってくるようになったし。本当に農業自体が、難しい局面に立ってるしね。買い叩かれちゃってるし、そこで生計を立てるのは難しくなってるし、いろんなことがあるんだけど、それを守ってきた最後の世代の人みたいなものかも知れないけど、その人達が誇りにしてるものを、その人達くらいまでは認めて、そのままそっと、本当に「大変でしたね」っていう感じでないと、その人達は新たに、新しい視点を持ってこられても、いきなりジャンプする訳には行かないし。

 私は中学時代あたりで、現代美術の走りみたいな展覧会を見て、本当に講堂の中に天を突くような塊であるとかね、その辺りでは、ショックも感動の一つであるというような、激震というのか、驚きというのか、そういう衝撃というのはどこかで必要なんでしょうけれどもね。でも、それをやっぱり今、ここの地面と取り組んでいる人を脅かすだけでは、ちょっと可哀相かなと思いますけどね。そうすると、ほら、「ゴミが浮かんでます」とか、そういうことになっちゃったりするけど。でも、若者にしたら確かに大変な所だと思う。

森健太郎 たぶん、なんですけど、この溜池の歴史に対して、ここの人達がポジティブに取り組めるのは、彼らが農業をやっているリアリティとか、田圃を家族で守っているリアリティであるとかいうものと、接続している筈なんですよ。自分たちの田圃はそういうもので作られていて、連綿と続いて来た、連想ゲームみたいなものが出来ると。

 それに入り込めない人、入り込む積もりがない人間からすると、それがシンボルとして提示されてもリアリティが、やはりない。実は僕なんです。僕は農業も畑もまったく興味がなくて、なぜか家で引き蘢ってたりしますけど。(笑い)それからすると実は農業の技術の歴史よりも、地形的な大地の構造とか、ビューラインと18号と鹿曲川の位置関係とかの方が、本当にリアリティがある。愛着が持てる。この、言いたい事、っていうのは、中に入れてる人間と、村の中に入れない人間とのコントラストみたいなものを、ちょっと明確にしたいなと思ってるんです。

 実は昨日、僕は飲み会に行って、用水の事を言われれば「そうですね」と言いますけど、それをやればやる程、やっぱりそこの壁、っていうか、広がって行く筈。そうすると村の中に、どっかにありましたけど、移住者村みたいなものが出来上がってしまう。切り離されて、遮断されて行く。一緒になるのは本当に必要なのかという観点も、あるじゃないですか。中の人達と外の人達が仲良くやるべきか、という議論もまず、あるじゃないですか。仲良くなるべきであれば、どっちがそこの譲歩をするのか。そうするとそれは後から来た人、ってことになるんですけど、本当にそれでこの村が新しい人たちを受け入れたという形になれるのか。もしかしたら、その昔からいた人達のシンボル、新しく来た人達のシンボル。そこら辺も含めて全部見られる何か、みたいなものがあるのかも知れない。ないかも知れない。

TY でも、その、森さんの大きな心があったら入りそうな気がする。(笑い)

森健太郎 答えは当然、この時間なんかで出ないけれど、

TY でもやっぱり、リアリティのない人達が来ても、それほどプレッシャーを感じなくてもいいような土俵というのか、それを用意出来ないと居着いてくれないでしょ。居心地が悪いものね。

森健太郎 芸術むらはそのあたり成功した地区みたいな気がするんですけどね。

小林麻美 そうだね、外から来た人達ばかりだから、外から来た人にもここの良さというものを、皆、共通認識があって、まあ歴史がそこそこありつつも、それ以上にここの持っている土地の良さ、外からの視点も、何かシンボルのようなものがある。そんな気がしますね。

司会 全体のね、さっき森さんが話をされたように、たぶんこの芸術むら、っていうのはね、行政政策によって出来た地域ですよね。それに対して、良しと思ってなかった人もいたんじゃないかなと思うんですよね。だから、そういう中ではやっぱり「あそこはちょっと違う所だ」というような所はあるのかも知れない。僕なんかは外に出てしまっているから、夜は自宅に寝に帰って、という生活で、よく分からないんだけれども、そういうものってたぶん、あるんだろうなっていうのは感じます。あそこは余所者だからな、っていう。どうなんですかね、そういうのってあるのかな。今は全部、余所者ですものね。(笑い)

TY だから、余所からお嫁に来た人とか、外から中に入ろうとした人は、本当に大変だったんじゃないかな。歴史があり過ぎるんだもの。

小林麻美 でも、旦那さんがこの土地の人で、来たお嫁さんていうのは、ある意味そこに

TY 溶け込まない訳には行かないしね。

小林麻美 うん、うん。やっぱり地縁とか、そこで暮らしてきた歴史のある所に入っている家族と、まったく地縁、血縁のない者が入って来た人と、やっぱり違うというのはある。違うのは当たり前だし、その土地に対する責任とか、想いというのは、違うのは当たり前。それは新島に暮らしてた時もすごく思ったけど、やっぱり新島も島の歴史を背負って生きている。その土地を守る、自分の持っている畑の土地だとかを守って、それを自分の人生の責任として暮らして来た人達と、新島が好きだからといって移住して来た人の、何ていうのか、まったく違いますよね。だから、言葉に出さなくても、やっぱりそうやって地で生きて来た人は、どうしてもちょっとこう、外からの人は別の人として見てるのは、もちろんあるし、それは同じです。でも、それはしょうがないことだし、それはその人の選んだ道だから、そもそもの土台が違うんだよね、って。

TY しかも若くって、本当に自由に生きて来た人が、ここにポンと入って皆をまとめようとか、道筋をつけようとしたら、それはそれは大変に決まってるんだけど、ただ、森さんのお宅を借りて思ったのは、本当に大きい。人間が。もう本当に人の事はそのまんま認められるっていうのかな。構わないというけど、でも、構わない、というのはものすごく勇気がいることで、自由を自分でも手放さないし、人のことも縛らないし、その辺がね、村にとっては本当に貴重な人なんじゃないかと思うんです。やっぱり歴史を背負っちゃったら、それを教えなくちゃいけないとか、いろいろ制約の方にどうしても押さえ込むとか、従わせるとか、そういう所に力が行きがちな人間の歴史だと思うんだけど、やっぱり自由に育って、本当に哲学的にたぶん深めて来た人だから、その辺の根拠がしっかりしてるというかな。何が必要かということが本当に分かっている人だと思う。

森健太郎 どうなんですかね。この辺りの問題って、何かこの後に出そうな、増えてきそうな気がするんですよ。今は何となく移住して来る人が少なくて、まだ村とか、守っているという人がかなりの人数いて、大きな集団に少人数が入ってくるという状況しか、起こり得てないじゃないですか。日本中どこを見ても。でも、これから、じゃあ経済的に悪くなって、とか、東京に居づらくなって、とか、東京がボーンと爆発した時に、今のような受け入れ方って、いつまで保つんだろう、というか。どこかのタイミングでパワーバランスが崩れた時に、何か起きそうな気がするんですよ。移住してくる人間の方が、数は少ないにしても何か、量と、一人一人が持ってる力で、地元民を圧倒しちゃうみたいな事が起こり得るんじゃないかな。この後、町とか村とか集落とかで。別にそんなの勝手になってりゃいいんだけど、

TY でも本当にそうですよ。今、後継者がいない所が多いんだから。相当に様変わりしちゃうと思う。今、住んでる辺りだって、空き家がすごくあって、田圃も余所の人に頼んでやってる所が多くって、頑張ってるお祖父ちゃんが95歳でやってるけど、その後はいないわけだから。本当にどうなるかって、どういうふうな道がつくんだろうって、本当に皆で考えた方がいいと思います。少子化とか言って、政治的にも問題にされてるけれども、あまり、これっていう決定打は出てないでしょう。

森健太郎 出ないですよね。例えばの話しで、その95くらいの人の田圃をね、若い者が10人くらいの会社で「ここら辺の田圃を全部、僕らで管理しますよ」と言って、耕し始める訳ですよ。で、その人達がある日、「来年から300万くらいお金を貰わないと、俺たちはやらないからな」と急に言い始めたとする時に、それは最初の頃は契約とか、警察とか、弁護士とかが来て、整えて行くんだろうけど、でも、もしそれが終わり、ってなった時に、急に中のパワーバランスみたいなものが、貸してあげてる人から、田圃をやって貰わないと困る人に変わった時に、何かね、面白い事が起こるんじゃないかということを、ちょっと思ってるんです。村の歴史を尊重するとかね、そういう考え方があった上で、変な事が起きそうな気がしてるんですよ。

TY でも、そういう時こそ、森さんみたいな人が有難い人になるんじゃないかなあ。

森健太郎 僕、結構サイコパスですよ、その辺り。何か面白い事が起きそうな気がしますよね、だからこそ、その用水の事務所とか、農家の管理の所とかには地元の重鎮しか入って行かないんじゃないかな。でも、人手が足りなくなって、コンサルティング経験があります、なんていう40代くらいの人がトップに立っちゃって、全部中の人を一新しちゃったり、用水の事務所に入って水を全部、自分で管理するって言い張っちゃったりとか、何かね、そんなことが起こりそうな気がしてるんですよ、僕は。まあ、分かんないですけどね。

TY でも、そうなるとしたら、なるだけの道筋を、皆でつけちゃったということでしょう。

森健太郎 もうそれでウジャウジャやってるだけだから。

司会 今回のテーマはシンボル。何かここの所を、文字にしてみたら。

TY ああ、僕たちのシンボルって、何と。

森健太郎 何でしょうね。僕も分からないですよ。

TY じゃあ、森さんはこの地域だったら八重原用水、って。

森健太郎 僕はちょっと違う気がするんですよね。用水じゃないんじゃないかな。他のシンボルは分からないですけど。人かも知れないし。生き物かも知れないし。

TY 森さんが僕たち、って言ってる場合は、若者も年寄りも入ってますか。それとも自由な若者に的が絞れてる僕たちですか。

森健太郎 とりあえず僕たち、と言ってる時は、ここにいる人達の中で決められればいいかな、と思ってる。ここで掘り下げてもあんまりない気がする。いいですか。(笑い)

TY えーと、森さんは文字で、じゃあリアルに、共感出来るシンボルというかイメージ、そういうのがあったらとっても楽しいというか、幸せだと思うんですか。

森健太郎 うーん、あった方がいいでしょうね。

(中国人作家の李さんが来て、ちょっと中断する)

あった方がいいと思うし。シンボルはシンボルで。神様はいないから。

司会 僕らは学んでるから八重原用水とかってことを知ってますけど、それほど知らなかったら何だと思ってるかな、僕は。やっぱりちょっと高台にある、台地の場所、みたいな、そういう感じで思ってるかな。

森健太郎 松の木とか、もしかしたらシンボルになりそうですよね。

司会 シンボルの話しになってるんだけど、自分の直感なのか、想いなり、思っている事でいいと思うんだけど、これが私にとってシンボル、僕にとってはここのエリアのシンボルだね、みたいな。

小林麻美 まあやっぱり、ここに根付いている人とかね、ここに歴史のある人、家族のある人、そういう人達にとってはやっぱり、家族の歴史だと思うし。

司会 だからそれぞれが、ここにいるそれぞれが何を感じているのか、っていうことをね。

小林麻美 ああ、私の。ここに住んでいる人と、移って来た人は違うんだろうな、とは思うの。人の持つシンボルも。

司会 それは違っていいんだけど、だから僕なんかは、例えば八重原用水のことは、話しを聞いている事によって、ああ、そういうことがあるんだ、ってことは学びとしては感じているけれども、自分にとってそれがシンボルかって言えば、ちゃんと重なっている訳ではない。まだ自分の中ではこれがそうだとは言えないんだけど、言えるとすればこういう地形。台地的なね。それがシンボルか、ちょっと困っちゃったりするんだけど。本人の思い……

森健太郎 シンボルって考えた時に、他にないもの、って考え方自体があんまり良くないんじゃないか、という気がして。そんなにないじゃないですか。シンボルって。

TM シンボルってね、昔の権力者がシンボルだったりするでしょ。どっかの国だって権力者がシンボルになってる。でも、この芸術むらでは絵画館がシンボルになってると思ってるけど。移住して来た人は美しい風景って言ってるけど、生まれた時から住んでる人は毎日同じ風景で、空は真っ青で雲は真っ白で、それだからって、だからどうなんだ、って話しになっちゃう。難しいものだと思いますね。浅間山ってのがあって、佐久の方から見た浅間とここから見た浅間とではすごく違っていて、そういう意味では浅間山のイメージだって、心に生きてる浅間はまったく違う。ここの土地は余所からの人を受け入れる優しい気持ちがあるけど、それは今のことであって、昔は新潟から来た人に対して警戒心があって、「どこから来たんですか」と聞いて、「新潟です」って答えると、ちょっと微妙な気持ちになるというんです。上杉ということでね。武田との関係で。そうなんだってさ。

司会 へえー。

TM そういうことは時代と共に変わるんですね。

小林麻美 何か自分のシンボルっていうと、一つじゃないんですよね。私なんかは移住して来て、やっぱりここに一つの縁があって、その中でずーっと探し続けてる、自分がここにいる意味とか、ここにいることの、ここの土地を自分の土地って思うために探し続けている、自分が納得するための理由を探し続けている。それは一つじゃない。ここの景観だったり、人の繋がりだったりとか、ここに来たからこの人と出会えたんだ。このまる屋を始められたんだ、っていう一つ一つが、自分を納得させるための過程で。私にとってはね。自分の、探し続けてる、っていう、見つけるために動き続けてるというね。

森健太郎 きっとその方が自然ではあるんでしょうね。

司会 僕もやっぱりまだ、ここで、自分のシンボルは何かって言えないな、と思います。僕はもっと麻美よりはここにいる時間が短いし、外に仕事に行ってしまってるし、ここでの人間関係というものをそんなにまだ作って来てないし。やっぱりこの地域をよく知っている訳でもないし。そう考えるとまだよく分からない。探してる気持ちはあるんだけど、それに対して答えは出ないというのかな。自分で根を張るようなことを始めれば、それは一つの、何がシンボルなんだろう、というものが見えるのかも知れない。今、家はここにあるけれども、ちょっと違う。どうですか。

TY 全然、馬鹿みたいなことだけど、私も昔、ニーチェをちょっと齧ろうか、読みたい、と思って、でも難解すぎて全然齧れなかったんだけど、その中で「良き眠りのための生活」という言葉があって、やっぱり本当に「やるだけやった」って言って、それで寝られる生活というのは幸せだな、と思って。馬鹿は馬鹿なりに一生懸命、全力で何かをやって、それで一日の安らぎの時間があって、みたいな。そういうのが、それはシンボルとはまったく関係がないけど、「やれば良かった」とか、「あれをしとけば良かった」とか、そういう悔いだけはしたくないな、と思うんです。

TM たとえば、ほっとする場所が自分にとってのシンボルになるとかね、川の流れを見て、濁流になってる時でも瀬音を聴く。それが私達の、私の生きる場所になるんだな、という。今、両台地の真ん中辺にいて、景色は前後に開けている。左右はちょっと山があるけど、それはそれでまあいいな、と思ってますけど。ここの人達にとっては当然、余所から来た人は高い、見晴らしの良い所がいいかな、と思うだろうけど、人のご縁によって八反田という所に来たということで、私にはご縁の、ほっとする場所なんです。

司会 森さん、最後に何かシンボルがあったら。

森健太郎 そうですね。僕自身はシンボルとかって、まあ、ニーチェを齧ってるということもあって、ほとんど分からない。分からないという感覚が強くて、自分は自分である。そこで生きて行くということは生理的な反応であったりとか、仕事であったりとか社会的な要素はあるけれど、それが何かを象徴し始めるとか、全体の繋がりに繋がって行くとかいうのは、実はあまりわからない。だからそこを否定するというつもりではなくて、生きて行くためには、何かそれだって必要なことで、一体感とか社会を構成していくためにはシンボル的なものを何となくくらいで皆が共有していて、それが神様であって、みたいなことを考え出す。何か分からないですけど、それぞれに皆さんの言ってる事が違うということが、実は重要で、そこの間を取って、何らかのぼんやりしたイメージが東御市、八重原、っていう場所にある、ということが、まあそれでいいんじゃないかな、と。全然考えてないので、落ちも何もないですよ。そういう、何かふわーっとした感じで終わるのもいいんじゃないかなと思ってます。この話しは。

TY これでなければ、とかね、そういうのがない大きさというのが森さんの大きい所だと思う。

森健太郎 なくていいんだと思う。最後はニーチェの言葉で締めようかな。

TY えー、っと、これはプリントしてもらえないんだよね。

森健太郎 後で送りましょうか。「事実は存在しない。あるのは解釈だけである」と。皆が何かを決めたいと思ってるみたいなものは、たぶん存在ではなくて、これは解釈だけなんだよ、と。そういうふうに僕らが思ってる、言ってるだけだ、この社会ってのはうまく作られてるんだよ、という辺りで話しを終わろうと思います。長いことお疲れさまでした。

司会 じゃあ、最後に全体の感想を言って終わりにしましょう。すごく僕、今回、良かったと思うのは、どうしてもね、やっぱり、その見てる世界が狭くなっちゃうんです。自分の仕事がメインになって、逆にその他のことを見ていない自分がある訳で、そういう意味では今日、そういうアートとかね、デザインとか、そういうことで、ふだん自分が見たり考えたりしていないものに出会った。こういうことって、こういう見方もある、みたいなこと。こういうことが、理解出来ないけど、ある。何かそういう所をちょっと最近感じてなかったことを感じる、というのが、すごく良かったな、というふうに思っています。事実がどういうものか、ってその人によって違う訳ですものね。だから見えてる現象とかも、それ自体もたぶん解釈で、それでいいのかな、って所はあります。

TM 私は地域が、地域の人と天空の芸術祭、または絵画館と、何か橋渡し、近づけるという、親しみを持ってもらうという、そういうふうなことをいつも願っているものだから、今回のシンボルというものが、本来であれば地域のシンボルとしての絵画館であったりと思っているものだから、それと天空の芸術祭が、これもまた地域のために、皆のためにという側面で見たら、どういうふうに考えられるのかなあと思ってたんですが、やっぱり地域の人にとって、インターネットとかそういうことの繋がりだけでやってしまうというのはどうなのかな、と。コミュニケーションの世界として、まだまだ前時代的な人がかなりの数いる中でどうやって近づけるようにしたらいいのかなと考えています。今日のことについても、事実というのは存在しない。存在するのは解釈だけだ、ということであれば、じゃあ、解釈をするためには人の中に入り込んでこうですよ、ああですよ、やっぱりこうですか、というふうな所も必要なことなのかなというふうに思いました。

TY 全員、100人いたら100人同じ方向を向くっていうのは、ある意味すごく危険だと思う。何か違う異質なものを入れてない集団は、すごく弱いと思ってるから。この地域にとったら余所から来た若い人というのは理解するのも難しいけど、そういう人が入ってない集団はかえって危険だと思う。そういう人が来てくれられるこの地域の運の強さというか、可能性が、それがすごく私は大事だと思っています。やっぱり人と違う発想をする、人と違う見方や価値観を持っているという人を、活かせるこの場所であって欲しいという願いがあります。いてくださるだけで私はとってもいいこと、っていうか、幸せなことだと思ってます。

小林麻美 えーと、何て言ったらいいんだろうな。アートって、ある意味贅沢なものという話しもあったけど、自分が生きて行くためには必ず必要なものではないけれども、やっぱり何かそこに、その時間を作る、自分のために作る時間という所に、やっぱり豊かさがある。生きて行くための新しい視点というものがある、という意味でね。自分のための時間を敢えてそこに作るということが、精神的にも自分の人生を生きて行く上での豊かさがあるのかな、と思うんです。後はその、今って、この地域は自分のための楽しみとかっていうと、住んでいる所より、外に行くことでの楽しみに視点が行きがちで、上田の町に遊びに行くとか、佐久に行く、東京に行く、みたいな。そうではない、この地域の中での楽しみ方。自分のための時間の使い方っていう、やっぱりそういう視点が、ここに暮らす人達にとって必要というか、私にとってはね、それが芸術かな、って思う中で、火のアートフェスティバルとかというのはすごく意味があるなあとは思っているんですけど。何かまとまりがないけれど、私にとってはね、今ここで起きていること、地元の人と外の人の交流だとか、新しいことが始まっているすべてが意味があって、ここの歴史、長—い、未来に繋がっている歴史だと思っているので、私にとっては大切なプロセスの、いろんな出来事なんですけれども。シンボルという所ではもうちょっと曖昧な回答しか出来ないんですけど。ちょっと、まとまりがなくて済みません。

森健太郎 語り手から最後。アートをやってる人間の、いい所でもよくない所でもあるんですが、答えを保留にするという癖があると。アートの人、っていうのは。これってどうなんですか。いや、これは聞き手の判断にゆだねます。みたいなね。そう言っちゃう訳ですけど、それはそれで必要な時っていうのがある筈で、それで最後、この言葉にして「事実、じゃない」」と。そうでなくて「解釈がたぶん、大切なんだ」「これが真実だよ」と言ってあなた達に投げる。「これがこの町のシンボルである」と言ってあなた達に投げる。それよりも、それを自分たちがどう解釈していくのか、それをどういうふうな理解のもとに自分たちが使って行くのが、実は重要なことで、それが出来る人達がたぶん、今この場にはいると思うんで、理想的には、ちょっと難しいかな、って人達と、出来る人達が同じ場になって、少しそういう解釈が自分の中で出来る人が増えて行ってくれることが良かったかな、というふうに思います。今回その部分をちょっと頭を使って、答えが出なくても、取り敢えずこの会は終わりにする時間ですので、体験してもらった、というだけでいいかなと。

TY 楽しかった。めったに聞けない話しで。(笑い)

森健太郎 甘いものが飲みたくなりますね。

司会 今日はどうもありがとうございました。

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